Last update: Jan. 2nd, 2014
管理人のプロフィールや戯言など
団塊の世代の後塵を拝す年代。高校の卒業式はバリケード封鎖で中止になり、ひょっとしたら革命が、という幻想を抱いた世代。
平成8年に都山流尺八を始める。一応「准師範」。平成16年秋より経済的な困窮に陥り、17年春より稽古を断念、現在に至る。多分、
職格は剥奪されているだろう。
都山流に入門したのは、偶々、一番近くの指南所がそうだったからで、意識して選んだ訳ではない。というか、そもそも尺八に色々な
流派があることすら知らなかった。独学で尺八を極めるのは所詮無理。見て聴いて、技を盗むしか上達の近道は無いと思っている。
初代中尾都山が、普化尺八の出であるのは割と知られている。幼少の頃は近藤宗悦の弟子の小森隆吉、少年時代は尾崎真龍に学んだ
らしいが、どの程度かは分からない。尾崎真龍は明治22年に亡くなっているので、真龍と一緒に「大和、近江方面へ虚無僧托鉢した
ことも時々あった」(富森虚山著「明暗尺八通解」)というのは11・2歳の頃という事になり、かなり疑問が残る。尾崎真龍ではなく、勝浦正山
だと思われる。楽譜も「フホウヱ」式で教授を始めた事からも旧明暗寺系だと分かる。
普化尺八との出会いは浦本浙潮師の著作物を読み、偶々入手出来たLP「浦本浙潮の尺八」を聞いてからで、両者とも故稲垣衣白師の
編集で、深く傾倒した。
平成18年に、インターネットを通じて知り合った方から、古典尺八の手解きを受けた。その方は若い頃に数年、某氏から教えを受け、
その後、仕事が忙しくなったので止めて、仕事をリタイヤしてから昔を思い出しながら吹奏を再開した方だった。製管にも手を染めて
おられたが、地盛り管だった。教えて頂いたのは、ほんの数曲だが、伝承がハッキリとしなかった。
それより以前、尺八を始めて2・3年経った頃に、あちこちの演奏会に行った。今にして思えば、生前の山口五郎師や、横山勝也師の
吹き振りを生で拝聴出来たのは幸いだった。マイナーな邦楽の世界の中でもマイナーな尺八。その中でもマイナーな明暗尺八の世界。
やっとそこへ辿り着いた。
平成19年の春から、正式には夏から教えを受けている。多分、聞いていても面白くない、観賞用音楽ではない明暗尺八の世界。その蘊奥を
究めるには遅過ぎるスタートではあるが、限りある生の許す限り、一歩ずつ精進して行きたいと思う。
平成20年3月吉日、晴れて明暗尺八への入門を許可された。まぁ、教える資格を持つ「導主」に巡り会い、お願いすれば、誰でも入門出来る
のだが、如何せん、他の流派と異なり導主の絶対数が少ない・・・。
平成25年、晴れて皆伝となる。明暗寺での皆伝式では、「虚空」全曲を吹奏した。明暗對山派の伝承経路を記すと、
樋口對山―谷北無竹―高橋呂竹(皆伝は佐藤如風師から受ける)―古屋竹涯となる。事の序に記すと、旧明暗寺の明暗真法流に関しては、
勝浦正山―山上月山―高橋呂竹―古屋竹涯という系譜で20余曲が伝承されている。私は對山派で手一杯なので、明暗真法流に取り掛かる
のは当分先になりそうだ。小生の竹号「竹豊」は高橋呂竹師から頂いた。HP上では「竹庵」と称しているが、明暗寺で「庵」号を名乗れるのは、
歴代看首だけだそうで全く知らなかった。「庵」の付く地名に住んでいるので安直に名乗っただけで、他意は無い。
色々と、言いたい事、批判したい事などはあるのだが、はてさてどうしたものやら・・・